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随筆
2021.01.07

ありあけ

随筆, 2021.01.07

2021年始より、イリイチを履修しています。

学校、医療、交通。

イリイチの視座を手がかりにすると、昨年に東京で過ごした異質な時間、あるいは未だ液状である知覚に対して、具体的なフォームを与える補助線になりそうです。なるでしょう。なっている。

液①
“深い夜。だれもいない公園。いや、だれかがいる。深い暗さの奥からやかましい音がする。ゴーと鳴って、少年の声。スケボーの車輪が回っている。いってぇーとか言ってる。他の少年がけたけた笑って、手を差し出す。少年たちが闇のなかで時間を流している。”

液②
“母からの電話。死に目に会わしてやれないなんて。どうにかして会わせてやりたい。そう考える母のことは良く分かるどころか、それこそが母だと思う。だが、うまい応答ができない。ひとりのナースの悩みに対して、息子として励ますより他ない。”

液③
“日に日に増えてゆくウーバーイーツの自転車。ある日、彼らが交通事故を起こしてしまう。そういう悲劇が頭によぎる。”

映画に転化す”べき”、こうしたリキッドを知覚したのは4月のことでした。その頃は、あまりにたくさんのリキッドが洪水のように感じられて、人知れず樹海に逃げ込んだりしていました。ずるずる引き揚げて、少しづつですが思考を再開しました。

これらのリキッドに対しイリイチの視座を借りると、それぞれが、学校、医療、交通の補助線を帯びてきます。きました。今。

3つの中でも、最も参画が叶いやすい労働をあげるなら交通だろうなと思います。 (出前を交通に内包できるかは未履修ですが、) 先のリキッドの登場人物・ウーバーはいわゆる出前と違って、土地勘に関するハードルが無くされています。そのかわりにスマートフォンが必要ですが、現在の東京を散歩している限り、スマホを持たぬ人を探すことは、雨の日に傘を差していない人を見つけるより大変だろうと思います。そんな実感を下地としつつ、現在的に最も参画しやすい交通的なにがしかが、ウーバーなんだろうなあ。そう交通的なにがしか。ウーバー以外にも、運送業のトラックドライバーの需要を見越して、政策としての補助金制度を使った大型運転免許の取得とか、そんな話も昨年は聞いたりしました。

そういえば、数年前、自転車でこけて結構おもしろい感じに足の親指を怪我しました。何針か縫われたんですが、そんなこと初めてですごい痛くて、周囲に気遣いをもらったりでした。

散歩の途中でふと知覚された液③、そこにイリイチにより交通という補助線が与えらて、それらしいことを考えているうちに、より明確な体験としての痛みがこちらに語りかけてきて…。イテテ。そう、その『事故』が現れるとき、それがもしもウーバーの自転車と新米トラックが衝突してしまったら…。

液③、そのリキッドの正体=形態はおそらく”悲劇”なんだろうと思います。回想しておもしろい感じとか開き直れたり、周りにかけた迷惑もちょっと薄まって思い出しちゃったりする自分の怪我とは違って、このリキッドは本質的事故であり、本来的悲劇なんだろうと思います。
もしもそれが、無重力であれば自転車もトラックもただふわふわと浮かんで、ぶつかってもコツンと向きを変えるだけで済むのに。どうしようもない圧倒的な重力こそが、事故を呼び、悲劇を運命づけてゆくのだろうか…。

リキッド、補助線、アンタの正体。
こう記してみましたが、もとより充分に思考してうまく言葉で記すことができないから、ハンパなスクリーン漬けになっている恥じらいもあります。
『こんなもんどこにも持っていく先の無いてめえの知覚だし、いまだに学生気分で世界に補助線を与えようと勉強したり、結局は恥にまみれたてめえの人生の総体なんだよ。なんだよ。なんだよ…。なんなんだよ!!!』
と、恥と自虐で自己抑制を試みても、なぜか最後に1フレームだけ混ざってくる野生の荒ぶるところから、映画に転化す”べき”。と思っています。
これはたぶん、セルフ呪術。いまだに解けることなく効いています。あとは、僕は18歳まで山口県の学校にいました。とかか?

―――映画のそれは、常にはぐれ者の美学であり、落第者の苦悩であり、葛藤にまみれた希望であり。

ふと思い出す、大阪芸大に入学後のオリエンテーション。

「みなさん、地元や学校で”変わってるヤツ”とか言われたり、自分に何か才能があると感じていたり。ここにはそんな人々が集まっている。つまり似た者同士。もっと言うと、今のところここにいる全員は大した差のない”普通のヤツ”らということです。それでは、頑張ってください。」

なんかそんな感じの言葉。今思うと激烈な号令だけど、当時は心地よい癒しを強く感じた記憶がある。

それからはじまったのが、変わってるヤツらの普通探しと脱普通の修行。それはほとんどふざけたように見えるけど、やっぱり学びと驚きに溢れていたし、4年をかけて友だち・仲間と映画してみたり、芸術してみたり、とりあえず何かをしてみることができるようになってくる。不思議としてみることができるようになってくる。

映画を見ては、恋をしては、遊んでは。
語ってみては、考えてみては、悩んでみては。
何かを知覚しては、どうにか正体をとらえようとして。
最後は破れかぶれで、仲間がいれば肩を組んで、もしも最後のひとりになったらぶっ倒れるまで、真正面からスクリーンに投げつける。
そうやって映画を覚えた。

子どもはほっといても大人になるとは聞いていたが、自分はいまどこにいるんだろう。
年を重ねているはずなのに、生まれたばかりのようにやっぱり見失う。道に迷ったり、知覚から逃げこんだり、そこで歩けなくなったり。なので、恥を忍んでこっそりとみなさんの力を借りる。だもんで、”べき”と思っている次第。

今年の目標は例年どおり「借りを返し続ける」。

ありがとう、あけることができました。

2021.01.07
HOMURA Yoshikazu

布村喜和 / 映画監督 Yoshikazu Homura / Film Director

About

3月19日生まれ。山口県出身。大阪芸術大学映像学科卒。 2017年3月19日、HOMURA & a 319 Filmworks Blue 設立。シネマトグラフ発明に始まる"相対的なる映画史"と、 インディペンデント映画やアートフィルムが接近を試みる"絶対的なる映画史"。 広い世界と無限の観客、しかし、自己の所在は依然として分からない。 ただ、映画をつくりつづける。生きている。

Born March 19th. I am from Yamaguchi Prefecture. He graduated from Osaka University of Arts and Sciences. On March 19, 2017, HOMURA & a 319 Filmworks Blue was founded. "Cinematograph" Relative movie history starting with invention, "absolute movie history" where independent films and art films try approaching. Wide world and infinite audience, but I still do not know where I am. However, he continues to make movies. I am still alive, today.

Award

DAIGEI FILM AWARDS 2013 上映
ぴあフィルムフェスティバル2014 1次審査通過
日本芸術センター 第六回映像グランプリ 本選上映
第3回 三軒茶屋映像カーニバル 奨励賞受賞
(映画監督・松井良彦氏 選出)

YCAM10th FILM by MUSIC
「架空の映画音楽の為の映像コンペティション」入選
(音楽家・坂本龍一氏 選出)

DAIGEI FILM AWARDS 2013
 / Screening

PFF 2014
 / First pass judging

The 6th Video Grand Prix of the Japan Art Center
 / Screening

The 3rd sangenjaya cinema carnival
 / Incentive Award (Yoshihiko Matsui selected)

YCAM 10th FILM by MUSIC
“Video Competition for Fictitious Film Music”
 / Winning (Ryuichi Sakamoto selected)

I believe and movies that I believe.
& I believe and movies that I believe.